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~鶴岡シルクストーリー~

鶴岡シルクストーリー

 鶴岡は、元和8年(1622年)、徳川氏譜代大名の酒井忠勝公の入部以来約250年にわたり、庄内藩14万石の城下町として発展してきました。

 明治維新を迎え廃藩置県ののち、新政府の生糸立国という殖産興業政策に応じることとなり、旧庄内藩士約三千人による鶴岡の南東の地、現在の鶴岡市羽黒町松ヶ岡地区の開墾が行なわれました。

 明治5年から始まった開墾事業は、明治10年に大蚕室10棟(5棟が現存)が創建され、製糸を開始、明治22年以降器械繰に移行し生産性を向上させました。

 明治30年代になると絹織物業はめざましい発展をみるようなり、鶴岡では輸出向けの羽二重の生産が隆盛を極めました。

 その後、太平洋戦争が始まり、戦争の激化とともに、当時19社あった会社も廃転業を強いられ、軍需用の絹を織る3企業(鶴岡織物、羽前織物、松文産業)を残すのみとなりました。

 戦後、復元したわずかの企業を加えて昭和26年鶴岡織物工業協同組合が設立されました。

 昭和39年をピークに生産量は下降し、織物業界は厳しい時代を迎えることとなります。

 40年代になると、中国との競合が激しくなり、特に羽二重の産地は破壊的な打撃を受けました。ここにいたり松文産業は絹をあきらめ合繊専門工場となり、齋藤外市の創設した最も老舗の鶴岡織物も42年遂に廃業、さらに47年には鶴岡で最大の羽前織物も廃業し、現在は松岡(株)1社となりました。

 今日、経済のグローバル化の進展により絹織物業は一層厳しい時代を迎えていますが、鶴岡は養蚕~製糸~製織~精練~染色・プリント~縫製という絹製品を作る一連の技術・体制が域内にある全国でも稀有な地域で、日本の中で本格的な絹産地の北限となっています。

 また、近年は「小石丸」や「松岡姫」などという蚕品種の飼育技術を確立したり、「SILK2」という伸縮弾性と捲縮性をもつ絹100%の新素材を開発したり、絹入りの麦切りやお菓子等の食品を開発したりと、新しい可能性を広げる様々な取り組みも行なっています。

 そしてなお、現在も高級絹織物の産地として高い評価を受けています。

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